よしながふみ原作の大奥は、三代将軍・徳川家光から最後の将軍・徳川慶喜に至るまでの歴史が描かれています。
物語は史実の流れに沿って展開していくので、大奥の男女逆転は実話?と疑問に思う人もいるのではないでしょうか?
これまで映像化された大奥の男女逆転は、フィクションであるような違和感は感じません。
そこで今回は、物語と登場する主要な登場人物について、実話なのかオリジナルなのかを考察していきたいと思います。
大奥の男女逆転は実話だった?
よしながふみ原作の大奥は、三代将軍・徳川家光から幕末までが壮大に描かれています。
しかし、大奥の男女逆転は実話ではありません。
実話のような錯覚を覚えるほど、オリジナル要素が史実に絶妙に入り混じっているのです。
「赤面疱瘡」の流行は実話?
例えば「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」という男子のみが罹るとされる疫病の流行です。
当時人々が流行し恐怖に陥れていた疫病は、疱瘡、つまり「天然痘」です。
天然痘は、1980年に根絶宣言が(世界保健機構)により発表され、以後の発生は報告されていません。
1度発生すれば地域の80%以上のものが感染しました。
瘢痕(一般的にはあばた)を残したり、失明や身体の障害など後遺症が残ることでも恐れられていました。
大奥<男女逆転>に見られる史実とフィクション
ここでは、大奥<男女逆転>の流れに沿って、主要な人物をピックアップしていきます。
そして、史実とオリジナル部分について考察していきたいと思います。
大奥[水野・吉宗篇]
「暴れん坊将軍」でおなじみ徳川吉宗の時代の物語が展開されています。
信/徳川吉宗:江戸幕府の第八代征夷大将軍
《史実に基づいている部分》
・眉目秀麗な50人に暇を出した。
・質素倹約を旨とした。
・小石川養生所の設置。
・目安箱の設置。
・遊び人で手が早かった。
・側用人を廃止し、御用取次を新たに設け、加納久通と有馬氏倫と小笠原胤次の3人が就任。
《オリジナルである部分》
・10歳のとき、綱吉に拝謁し、領地と偏諱を賜り成人して吉宗と改名した。
⇒史実では紀州藩主に就任するときに授かっている。
・未婚設定だが、紀州時代に結婚している。
・史実では、紀州時代に女中と長男と次男が誕生している。
水野裕之新
実在しない独自のキャラクター。
大奥~誕生[有功・家光篇]
女将軍が誕生した徳川家光時代の物語が展開されています。
徳川家光:江戸幕府の第三代征夷大将軍
《史実に基づいている部分》
・無類の男色嗜好の持ち主。
・正室との実質的な夫婦生活はなかった。
・春日局からの跡継ぎへの重圧から辻斬りをしていた。
⇒家光の身代わりを務めていた千恵にも髪狩りという設定が使用されている。
・影武者がいたこと(史実では影武者の存在は賛否両論あり)
・能を好んだが、役者ではない諸大名や家臣に演じさせる屈折した愛好家であった。
千恵/徳川家光:江戸幕府の初の女征夷大将軍
《史実に基づいている部分》
・鎖国体制を確立させた。
・田畑売買永代禁止令を発布した。
《オリジナルである部分》
・大奥の人員整理をして解雇した100人余りを吉原に送り込んだ。
・赤面疱瘡により男子の激減を逆手にとって、大名の大量改易をした。
・鎖国は男子の減少を隠すため、春日局が断行した。
万里小路有功(までのこうじありこと)
《史実に基づいている部分》
・家光の側室として存在した「お万(永光院)」という女性がモデルとなっている。
・有功は1639年に謁見した際、家光に見初められ、還俗させられ「万」と名を改め大奥に上がり、家光の側室となった。
・深い寵愛を受けるものの、子を授からず。
・春日野局の亡き後は後任として、大奥を取り仕切るようになった。
・家光の死後も江戸城に留まり、「大上﨟」と称される奥女中最上位を与えられた。
・月100両以上の給金をもらっていたとされ、その位の高さが窺える。
(※1両あれば4人家族が1か月暮らせたと言われていたこの時代。1両=10万円前後とすると月給は1000万近い金額になる)。
《オリジナルである部分》
・万里小路を称しているが、史実では六条有純の娘。
・大奥総取締に就任するが、架空の役職。
・明暦の大火後、大奥を去り仏門に入ったという展開であるが、小石川の無量院に避難したものの、大奥を去ったかは不明。
玉栄(ぎょくえい)
《史実に基づいている部分》
・家光の側室として存在した「お玉(桂昌院)」という女性がモデルとなっている。
・お万の侍女として共に大奥に入り、家光に見初められたお玉は、1646年に5代将軍となる綱吉を出産した。
・1651年に落飾し、桂昌院と呼ばれるようになった。
・綱吉が5代将軍になると江戸城に戻り、晩年には御台所の最高位に並ぶ「従一位」に叙せられた。
※余談であるが、このことが「玉の輿」の語源とも言われる(諸説あり)。
《オリジナルである部分》
・孤児であったのを有功に拾われた
⇒八百屋の父・仁左衛門の娘。母親の再婚により本庄宗利の養女となったと記録がある。
⇒縁がありお万の部屋子として、大奥に勤めた。
大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]
天下の悪法と言われた「生類憐みの令」を発布した徳川綱吉時代の物語が展開されています。
徳川綱吉:江戸幕府の第五代征夷大将軍
《史実に基づいている部分》
・幼名は徳子で、史実の綱吉の徳松から来ている。
・松姫も、嫡男徳松から来ており、5歳で夭折した。
・大変学問好きな将軍であった。
・生類憐みの令を発令。
・大人麻疹により死去
《オリジナルである部分》
・家光の三女となっているが、史実では四男。
・赤穂事件により、男子相続を禁じた。
・柳沢吉保に殺害された。
右衛門佐
《史実に基づいている部分》
・冷厳天皇の皇后・鷹司房子や御瑞夫上皇の女中として仕えた、右衛門佐局がモデル。
・公家の水無瀬氏信、またはその父・兼俊の娘と言われる。
・宮中髄一の才女と言われた。
《オリジナルである部分》
・綱吉の長女・鶴の上﨟となるため江戸に下り、のちに綱吉の上﨟なるが、綱吉と結ばれたかは不明。
まとめ
大奥<男女逆転>に登場する主要人物に関して、実話かオリジナルかを考察しました。
この時代について残る資料は、デジタルではなく紙に墨で手書きの時代でした。
そのため、資料が焼失したり、読めなかったり、改ざんされたりする内容もあったことでしょう。
そのため、真偽もはっきりせず、実話であっても未だ不明な歴史というのは多くあると考えられます。
壮大な歴史の流れが非常にわかりやすい物語で、歴史の勉強が苦手な方も頭にすっと残りそうです。
来年、NHKで放送される大奥<男女逆転>が楽しみですね!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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